Act09

ACT 9

SCENE 1

 ふと思いついたことが、意識しないうちにふと独り言として漏れ出ている。それは自分にはかなり前からあったような気がする。だが、それは自分だけなのだろうか。
  通りを歩いていて若者とすれ違ったりして、そいつが流行の歌なんかを口ずさんでいるなんてことがある。はたしてその若者は意識して歌を口ずさんでいるのだ ろうか。地下鉄でぐったり座っているときに、横の見知らぬリーマンが、エライコッチャ! なんていきなり膝を打って、ドキリとさせられたこともある。はた して彼は意識してそうしているのだろうか。駅のホームで冷たい風が吹いてきたときにだれかが、おおさぶ、なんて言うのは珍しくもなんともない。
 ようするに、そういうことは、だれにでもあるんじゃないか。
 気に病んだところで仕方がない。これからはできるだけ口をつぐむよう心がければいいんだ。うん、そうしてりゃよろしい。そうだそうだ、俺はちっともおかしくない。すこぶる普通。どこにでもいる小市民。一匹の兵隊アリで割り切ろうじゃないか。
 「カチョー、また独り言いってますよ。それより電話。電話が入ってます」
 「だれからだ」
 「名前を名乗らない人ですけど、切りましょか」
 「おー。いかんいかん。切っちゃいかん。そういう電話は大事にしないとな。こっち回してくれ……はっ。大変長らくお待たせいたしました。私、カチョーの亀井でございます。いつもお世話になっております」
 「あのねカメさん、いま公衆電話からなんですけど」声の主は門土だった。息を切らしている。「やっぱり姉小路が京都府警の捜索を受けてるんですわ。社長も任意で事情聴取受けていて、なかなか返してもらえないんです」
 「なに。エライコッチャな」
 「でですねぇ、カメさんにたってのお願いなんです。仕事終わったら、こっちに、来てほしいんです…」
 ブー。カードの残り度数が一になった。
 「こっち、っておまえ、どこにいるんだ。もう退院したのか」
 「京都ですよ。姉小路社の本社まで来てほしいんですわ」
 「なにいうとるのか、さっぱりわからんぞ」
 「ほんと、ちょっとだけでいいんです。一生のお願いです。ああ、電話が切れるぅ…。一二〇〇年の都で門土知安を男にしてやってください。んで、二万円ほど貸してほしいんですわ。後生ですぅ…」
 ツーっ、ツーっ、ツーっ。
 なんだなんだなんだ。やめてくれよ。急に、京都まで来てくれといわれても困るじゃないか。
 独り言事件があって以来、敦子とうまくいっていない。敦子からあることないこと吹き込まれたヒロミまでが俺を変な目で見るようになってる。娘っていうのはやっぱり母と組むようにプログラムされてるのだ。だからこそ、できるだけ早く帰って家族との会話の時間を増やしたい。
 だが、門土のことも気になる。あれだけ真剣な奴の口ぶりは初めてだ。でも、なんだか姉小路社のほうはややこしそうな雰囲気だし…。はて、どうしたものか。
 腕を組んでいたところ、部下たちがテレビの前にたかっているのが目に入った。興奮気味でわーわー騒いでる。
 「なんだなんだなんだ! 仕事はどうした」
 亀井は席を立つ。テレビにかじりついているのは、掘多に嵩山、成外、そしてウッキーこと雨季川である。
 なにがあったんだ、と亀井がテレビに近づくと、なんと、門土がアップで出ていた。
 「ねぇねぇ、カチョー。この人って、カチョーと仲良しの、システム保守課の人に似てますよね」雨季川が画面を指さす。
 「あほ。似とるんじゃなくて、本人だよ。おい、成外くん、ボリューム上げてくれ」
 成外はせせら笑いを漏らしながらボリュームを上げる。
 --不当捜査ですわ、不当捜査! 権蔵社長を返せ!
 門土が記者が差し向けるマイクをつかんで叫び、記者ともみ合いになっている。門土の後ろにはデモ行進でもしているような人数がいるようだ。漆塗りのキンサマを手にした和服姿の紺譜伊具シズもいる。ひょっとして、この一団はチーム・マネドスのメンバーなのだろうか。

 「うはは、バっカな奴」成外は頭の後ろで両手を組みリラックスの図である。
「こんな奴は、クビだな、クビ」
 掘多と嵩山も面白がっている。
 「あいつ、なんでよその会社に愛社精神あるんだ」
 「やっぱ、妻の言うことは正しかったんだ。不正コピーはだめだもの」
 「ちょっと黙れ。聞こえんぞ」亀井が怒鳴る。
 「あはは、カチョー、えらいことですよ。あんただって無関係じゃないんだから」そういうと成外はほじくった鼻くそを指ではじく。黒い弾丸は雨季川の頬にくっついた。
 なんてこと言うんだ。門土は同じ釜のメシを食う仲間じゃないか、と亀井が憤然と言うと、
 「まったくツラ汚しだぜ。ちったぁ親会社のことも考えろってんだ。どうせマスコミじゃ、星永食品系企業のはみだし社員ってことになるんだから」
  な、な、なにぬかすか。お前が交際費で女遊びしてるのとか、毎度まいど出張費ちょろまかしてるの、朝礼でぶちまけたろか。ヤるんならヤってやるぞ。いくら 貴様が星永本社から出向してきてるからっていっても、子会社には子会社の意地がある。刺し違えるまでヤる腹はあるんだ。南港の水、どれだけ冷たいか教えた ろか…… これだけのことが言えたらどれだけスカっとするだろう、と亀井がうつむいたとき、成外が椅子から転げ落ちてガタガタ震えていた。
 「いいぞカチョー!」
 そう言うなり、雨季川が成外のケツを蹴り飛ばす。
 「こら、ウッキー、なにするんだ。よさんか。おい成外くん、大丈夫かね」
 亀井は雨季川を制止すると、嵩山と掘多が横からはやし立てる。
 「なにいってんですか、あれだけの啖呵きっておきながら」
 え。俺、また独り言いっちゃったの?
 「格好良かったですよ」掘多が笑う。
 う、まずい。また独り言が漏れてたんだ。
 カチョー、弐志部長から電話です、というOLの声で、亀井は自分の席に戻って受話器を握る。
 「カメよ、いまのニュース見てたか。おお、そうだ、いまから京都へ行って、あいつ連れ戻してこい!」
 なんで俺が行かなきゃいかんのだ、というセリフが脳裏をよぎった瞬間、亀井は、わーっと叫んだ。
 「なんだ、いきなり」
 「いひひひひ、いいい行きます。よよよ喜んで」
 「ええか。穏便にな。みなまで言わんでも、わかっとるやろな」
 「は?」
 「会社と俺の迷惑にならんようにせい、というこっちゃ」
 汚ねえ奴だなあ、テメエの出世しか考えてないのか、人間のくずめ。そんな言葉が浮かんだ瞬間、おわわわわわーっ、と亀井は絶叫した。
 「うー・そー・でぇぇぇぇす!」
 受話器に耳を当てると、すでに電話は切れていた。部下たちの視線が集まってるのがわかったが、それどころではない。独り言が弐志に聞こえていなかったことを祈る気持ちでいっぱいなのだ。
 「おい、ウッキー、仕事はあるのか」
 「OLさん研修の続きが」
 「いいから俺と一緒にこい。今から京都に緊急出張だ。いいよな、成外ちゃん、ちょい借りるよ」
 成外は青い顔をして、ははっ、と土下座した。肝っ玉の小さい野郎だ。

SCENE 2

 淀屋橋から乗った京阪特急の車内で、雨季川はにこやかだった。いまからなにをしに行くのか、よく飲み込めていないのだ。いくら門土を連れ戻しに行くんだ、と教えても要領を得ない。
 「わーい。初めての出張だー、出張だー」
 「黙れ。みっともない」
 雨季川はしばらく黙って窓の外をながめていた。
 「あーっ」
 「なんだ、なんだ。急に大きな声だすな」
 「あーっ」雨季川の表情が、晴れのち曇りに急変している。
 「どうした」
 「忘れちゃった」
 「なにをだ」
 「お弁当と水筒と…都こんぶ」
 ……。
 京阪特急には小さな液晶画面が付いていて、宣伝広告の合間に、ちょっとしたニ
ュースを見ることができる。
 窓の外に顔を向ける雨季川を一瞥して、亀井はボリュームを上げた。
 ニュースである。
 またもや門土の顔にズームインだ。小鼻がひくひくしてる。まじで怒ってる。
 --なら、こんどは記者さんたちに聞かしてもらいますけどねぇ。
 門土が口を開いた途端、いくつもの罵声が飛び交った。
 --なにいってんだ、バカ!
 --はき違えてんじゃないか。
 --あんたらの会見でしょ。ここは討論の場じゃないのよ。
 --取材陣の意見を聞いてどうするってんだよ。
 --お前らはこっちの質問に答えてりゃいいんだ。
 門土も負けずに応酬し、会見場は怒号の渦となった。
  突然、マイクを持ったリポーターが現れた。耳のイヤホンに手を当てている。 --えーっ、私の声が聞こえますでしょうか。たいへん混乱してまいりました、 ひとまずスタジオに戻します。スタジオの、ジェリィ平賀さん、お願いしまーす。 --はい、スタジオです。うっはぁ、まるでウォーム事件のときみたいな興 奮ですねぇ。ワオッ。あの時を思い出しますねぇ。ワオッ。あー、えー、さて。私たちの関心の的なんですが、やっぱり盗聴器販売業者の背後関係と、捜査がど こまで伸びるかというところでしょうね。
 門土ひとりが袋叩きに合っているような気がして胸が痛むが、よりによって、平賀がコメンテーターとしてテレビに出てやがる。なんたることだ。ちっくしょー。
 カメラはズームアウトして、ジェリィ平賀の隣に座っている司会者とツーショットになる。
 --関係筋によりますと、姉小路権蔵容疑者のバックには大がかりな、ハッカー組織があるということですし、ひょっとすると、わが国はじめての情報謀略事件にもなりそうです。これは極めて今日的な事件ですね、ジェリィさん。
  --そーなんですよねぇ。聞くところによりますと、姉小路容疑者はずいぶん反抗的な男ですし、捜査機関は全容解明のために、あらゆる法律を駆使して、微罪 でもなんでもいいから、ドシドシしょっぴいて、ポカポカ殴ってでも、無理矢理でも自供に持ち込んでほしいですね。生ぬるい捜査じゃあ、私たち国民は納得で きませんよ、いいですか、びしっと厳しくですよ、刑事さん!

 私たち国民、って、おめーひとりのことだろーが。それにハッカーとクラッカーは違うんだ、アホ。アホ。アホーッ。亀井は液晶画面に毒づく。

SCENE 3

 列車はほどなく三条京阪駅に着き、亀井と雨季川はタクシーを拾って姉小路社に向かった。
 「ぼく中学の修学旅行で来たことあるんです。金閣寺でしょ、二条城でしょ、京都御所でしょ、それから…」
 雨季川はタクシーの中で指を順々に折る。見るからに楽しそうだ。
 「いいか、俺たちの目的は門土をゲットすることだ」
 「はーい。あ、そうそう、仕事おわってから、お土産買ってもいいでしょ?」
 「ああ、構わん。賢い妻にべったら漬けでも買ってやれ」
 「うわー、汚い会社の前に、ぴかぴかの黒塗り車がいっぱいだー」雨季川が指を
さす。
 まぎれもなく、そこはミニマル姉小路の本社だった。飯場のようなプレハブ造りの社屋を、大勢の報道陣の車が囲んでいた。
 「ぬかるな。タクシー領収書をきちんと守り抜け。リーマンの基本だ」
 「ラジャ!」
 二人がタクシーを降りると、ちょうど記者会見が終わったらしく、報道陣がぞろぞろ玄関に出てきた。
 まずい。
 「おお、だれか来たぞ。社員かな」
 「地検か」
 「公安か」
 案の定、報道陣と野次馬の人間の鎖でぐるぐる巻き状態になり、亀井と雨季川は一歩も前に進めない。
 これじゃあ、飛んで火にいる夏の虫。女子校に迷いこんだ木村拓哉、殺人ウイルスに追いつけない抗生物質…? ちょっと違うかな。
 「おーい、押すな押すなったら。おいおい」
 「あんた、だれだ?」
 「あたたたたっ、足踏まないでくれよ」
 「通せないよ、だれなのか言ってもらわなくちゃ」
 ソニーのマイクが何本も伸びてきた。三洋電機のミニテレコもある。
 「なんべん言ったらわかるんだ。足踏むなって。コラ、お前だよ、お前」 亀井の眉間にピシっとしわが入る。
 「まいどー!。モサドの者でーす!」いっとう背の低い雨季川が埋もれた中で甲高い声を張り上げる。「なーんちゃって。ひっひっ。落内信彦事務所から来たんだよ、ご同業。はい、はい、ちょいそこ通してねっ。ひっひっひっ」
 雨季川の機転の言葉で、記者連中は、引き潮のごとく引き、手のひらを返したように亀井らは見向きもされなくなった。
 これ幸いと、二人は会見場に足を踏み入れることができた。
 会見場はミニマル姉小路社の倉庫だった。ところ狭しとダンボールが山積みにされている。よく見ると、奧の隅っこで十人ほどが、しゃがみ込んで話し合っているのが見える。
 「ぉーぃ、ぉーぃ」亀井は奧に歩を進めつつ声をひそめて門土の名前を何度も呼ぶ。
 「あ、カメさん!」
 そういって門土が、亀井らのほうに駆け寄ってきた。すっかりやつれている。
 「約束は守ったぞ」
 亀井は急に涙がこみ上げ、はからずも門土を抱きしめた。
 かわいそうに。すっかり痩せちまって。なんで、お前、寄ってたかって虐められてるんだ。
 「ちょっと、ちょっとぉ、気持ち悪いなあ」
 門土は亀井の腕から離れようともがいた。
 「テレビでお馴染みの門土さん、ボク、新人の雨季川です。よろしくお願いしまーす」
 「うん、ボク、じきにクビになるけど、よろしくね」
 「バカ! バカ言うもんじゃないっ。俺がクビになんかするもんか。それよりお前、病院抜け出したりして、ケツは大丈夫なのか」
  「まだ痛いんですけど、もう、あの病院には戻れなくなっちゃって」門土は、スレイヴと携帯電話持って病院のトイレから網タイツにつないでいたところ、ペー スメーカーを埋め込んだ爺さんがトイレにやってきて胸抑えながら口から泡吹いて倒れて死んだという。おとといの夜のことだった。病院側は、爺さんを内々に 処理するとともに、門土から携帯を取り上げた。門土は、なんだか怖くなって逃げ出したという。
 「それにしても、お前なんで姉小路なんかに来てるんだ」
 「スレイヴ使って、病院のトイレから、新聞社のホストコンピューターに侵入して、ようやく全容がわかったんですよ」
 新聞社のホストには実にさまざまなデータが保管されている。まもなく逮捕される大物政治家に関する予定原稿や、各地の記者が持ち寄った断片的な取材メモのテキストファイルがたくさんあり、それらはデータベース化されているそうだ。
 「んで、中にはまともな記者もいてですね、明らかに違法捜査だって書いてまし
てね」
  コードレスホンやアナログ携帯電話をはじめ、ありとあらゆる無線を受信できるラジオの販売を本業としている姉小路社は、かねがね当局から睨まれ続けてき た。そしてある頃から、公安のスパイが送り込まれ、長らく内偵捜査がおこなわれてきた。そんな緻密な取材メモがホストから見つかったのだという。
  「スパイが、権蔵社長の日記から発言から、何から何まで一切合切報告しやがったんです。警察のデジタル無線傍受器計画とか、公安が使ってる盗聴器の電波を 聴くマシンの設計図でしょ。それに放送衛星とか通信衛星とかを乗っ取るプログラムとか。とにかくチーム・マネドスとはケタが違うすごいハッキングレベルな んです」
 「そらいかん。権力に逆らったら負けるに決まっとる。テレビのニュースじゃ、バックに大がかりなハッカー組織があるとか言っとったが、それはチーム・マネドスのことなのか?」
 門土は首を大きく横に振る。
  「僕ら、オモテ組織だったみたいです。姉小路にはウラ組織の実働部隊がいたんですよ。しかも、チーム・マネドスなんかと違って、すごいレベルのハッカーた ちが。僕たちチームへの弾圧は、ただ入り口にすぎません。紺譜伊具のシズさんも、任意で当局に事情聴取されてますけど、たぶん大丈夫でしょう」
 「またどうして、彼女が」
 「ほら、まえにデジタル辞書をどうやって手に入れたか説明したでしょ、堺筋のレストランから会社に戻ったときに」
 「ああ、そうだったな」
 「その辞書類は、もともと、CD-ROMとか電子ブックに入って売られてたものなんです。ちょっとしたカラクリがあってですね」
 「どうせズルしたんだろ」
 「ま、そうなんですけど」とはにかみながら門土が説明したのは、こうだった。
  シズはCD-ROMや電子ブックを買い、それを全部、自分のパソコンにコピーし、後に、テキストファイルに変換加工した。つまり、バイナリファイルをテキ ストファイルに作り替えたのだ。次にシズは、そのテキストファイルに明記されている著作権関係の表記をきれいさっぱり削除した後、MOと呼ばれる磁気ディ スクにコピーした。そいつを近くの公園のごみ箱に捨てに行った。

 この時、チーム・マネドスの別のメンバーがたまたま公園にいて、ごみ箱からMOを拾い上げて、シズに「これいらないの?」と訊ねる。
  シズは、そのディスクは捨てた物だから、所有権は私にはありません、と答える。そして、別メンバーがそれを家に持って帰ると、なんと、テキストファイルの 辞書がぎっしり詰まっている。彼はそいつを自分のパソコンのハードディスクにコピーするや、またまたMOを公園に捨てにやって来る。そこには、また別の チームのメンバーがいて、辞書類は芋蔓式にチームの五百人にコピーされていくというカラクリであった。
 「なんだか幼稚なマネーロンダリングみたいだな」
  「メーカー側に言わせると、計画的で悪質な違法コピーなんでしょうね。でも、ディスクに入っている辞書っていうのは、原則的に一台のマシンに対して一枚使 用できるっていう制限が付いているのが普通です。それも、箱の封を切った瞬間に、その契約が発生するってふうにメーカー側が勝手に決めてましてね。それっ て、むちゃくちゃな契約だと思いませんか?」門土の顔が興奮で赤らんでくる。「常識で考えて、契約って相互が対等な立場で納得して結ぶものでしょう。あん まりじゃないですか。手元にパソコンを三台持ってる人がそれぞれでCD-ROMの辞書を使いたいと思ったら、原則的に同じのを三枚買わなきゃいけないって ことになるんですよ」

 「違法コピーはだめです!」雨季川が口をはさむ。
 「でも紙に印刷された辞書の場合はどうなってますか。一つの机に一冊なんて変な契約はありませんよ。著作権自体はCD-ROMでも本でも同じなのに、本はみんなで使っていいんです。これって、絶対におかしいですよ」
 「でもメーカー側が違法だといってるんなら、逆らえんだろ。長いものには巻かれろだ。お前からコピーしてもらったの、返したほうがよさそうだな」
 「違法コピーはだめです」
 「いいえ、そんな必要おまへんわ。商業利用してるわけやないし、個人で楽しむ範囲で使ってるんだから。音楽CDだって一つのプレーヤーに一枚なんて売り方してないんです」
 「音楽のCDとは違うだろ」
  「一緒でしょ! 音楽CDだってコピーできるけど、それでもみんな、買いに行くでしょ。つまり、音楽産業は、消費者に『オリジナルが欲しい』と思わせるよ うな商品を作る努力をしてるってことです。それに比べて、パソコン業界とかマスコミ業界ってのは、カネ、カネって口やかましくてみっともないですよ。すぐ に著作権を振り回しやがって」

 「そういえば、あの網タイツに掲載されていた新聞記事も、新聞社の側からすると著作権侵害ってことになるんだろうな」亀井は背筋が寒くなり絶句する。「お前たち、なんて大それたことを…」

 「悪いことに、きょうの強制捜索で、網タイツのホストマシンがごっそり持っていかれましてね。スレイヴの方の顧客リストはおろか、電子メールもぜんぶのぞかれて、いまごろしっかりコピーされてますよ。例の東京の坊さんにメールが届かなかったのも無理はないんです」
 「なにぃ、俺のメールもコピーされてるのか?」
 「たぶん」
 亀井は膝が震えそうになった。《あんただって無関係じゃないんだ》という成外の言葉が悪夢のように蘇る。
 「で、お前、これからどうするんだ。長丁場になるかもしれんぞ。いったん大阪に帰ってケツの治療をしてから出直してもいいんじゃないのか」
 「これから忙しいんです。署名活動をして、抗議のデモ行進をして、人権救済委員会と市民オンブズマンとアムネスティにお願いに行ったり」
  「俺はお前が苦しんでるのを見るのが忍びないんだ。リーマン人生で一人出会えるかどうかどうかの親友なんだから。なあ、別に自分からすすんで会社をクビに なるようなことしなくてもいいじゃないか。また一緒に阪急東通りを飲み歩いて、ニュージャパンサウナで汗流そうや。会社のほうには、俺の方からなんとか いっておく。そうだ、今晩ウチに来いよ。うちで体を休めろ」亀井は一万円札を二枚握らせた。
 「カメさん、おおきに。あんたはほんまにエエ人や。ほんまに、おおきに。今晩のJRの終電でカメさんちに直行さしてもらいます」
 「おお、いいとも。熱い風呂わかして待っておるぞ」亀井は感極まって門土を抱きしめた。
 「男の友情ってなんだかエッチだなあ」雨季川がちょっぴりすねている。

SCENE 4

 「あれ、そこにいるの、亀井さんじゃないですか」
 亀井たちが施設から出てきたところで、男の声に呼びとめられた。太い影が早足
で近づいてくる。
 「ほら、私ですよ」男は自分で自分の顔を指さす。「フリーライターの太森明夫です。このまえ人間ドックでお目にかかったばかりの」
 「おお、ここで再会するなんて。取材ですか?」
  「まあそんなところです。なんせ取材相手が逮捕されるなんて初めてです。急きょ、記事を『パクられたって達者どす』にしようって思って。いえ、原稿がボツ になるかも知れないんですけど。あ、そうそう、こないだコピーしていただいたデジタル辞書、どうもありがとうございました。おかげですっかり書く能率が上 がっちゃって。ほんとに役立ってます」
 「いや、そのデジタル辞書は、違法コピーでして、門土君からもらったんですけど」
 「え? 門土さんって、会見で記者連中を叱りとばしていた彼をご存じなんですか?へえ、こりゃすごい」
 「会社の後輩なんですよ」
  「なかなかやりますね。会見のときは勇ましかったですよ。情報をガメているのは新聞社のほうじゃないか、って記者クラブ問題とか引き合いに出して堂々と批 判してるんですから。記者クラブから排除されてるフリーライターの私なんか、拍手しそうになりました。だって、この会見だって、地元の記者クラブが仕切っ てましてね、チンピラみたいな記者に、コメツキバッタみたいに頭下げて、質問しないという条件付きで、ようやく入れてもらったんですから」
 「へえ、そんなもんですか」
 「さて、どうです亀井さん。私これから京都府警のほうに取材に行くんですけど、ご一緒しませんか」
 「わーい。けいさつだ、けいさつだー」
 「亀井さん…の…お子さんですか?」
 「まさか、こいつ、ウッキーっていう会社のマスコットなんですよ」
 三人はまだそこらじゅうにたむろしている報道陣を後目に表に出てタクシーを拾った。
 姉小路から一歩離れると、やはりそこは京都だった。神社仏閣があちこちにあり、路地には古い木造の家々がびしっと並んでいる。なんだか心が落ちつくような気がした。京都大原三千院~などという歌などを口ずさみたくなる。
 キーッ、という音とともに、タクシーは急停車した。府警まであと少しというところだった。運転手は車を止めて指をさす。
 「どえらいケンカどすわ」
 日の丸が翻るちょっとモダンな石造りの京都府警本部の前で、制服の警官とロックンローラー風の数人が大乱闘を繰り広げているのが見えた。
 「おお、ケンカ健康法だ。運転手さん、忍び足で近づいてみてよ。こいつは良いネタになるかも」
 「へぇ」
 ローギアのまま車はゆっくり近づく。ロックンローラー風の男女は五人いて、その中の一人はやたら強くて巨漢だった。椰子の実割りやらジャイアントスイングやら、どうも懐かしいプロレス技を繰り出して、制服警官を次から次へとブっとばしている。
 はぁー?
 亀井は思わず声を漏らした。
 巨漢は悲観モヒカンじゃないか! 埼玉麗子もいる。コンビニ店員も、社会科教師もいる。僧侶が杖振り回して大暴れしている。あ、あ、あ、あれは、まぎれもなく、オーケー和尚
 「あれっ またまた、亀井さんの知り合いなんですか?」
 「ええ、ま、ひょんなことから」
 「あなた、普通のリーマンなんかじゃないですよ」
 「さすがカチョー」
 亀井に続いて太森が車を降り、最後に雨季川が領収書を手に車を降りた。と、ちょうどそこへ、警官が矢のように飛んできた。モヒカンに投げ飛ばされたヤツだ。 ワオッッ。警官のフライングサーカス!
 亀井と太森は身をかわし、空飛ぶ警官は雨季川に命中した。
 亀井は、一瞬、オーケー和尚と目があった。
 あ、どうも、このまえは大変ご迷惑をかけちゃって。そんな思いを込めたバツの悪い笑みを亀井は浮かべた。謝らなければならないという気持ちがそうさせたのだ。
 「おお、亀井さん。助太刀に来てくださったのじゃな」
 和尚は警棒を振りかざす機動隊員とチャンバラを繰り広げながら、亀井にいった。いや、叫んでいた。
 「あ、いえ。こないだは部下が迷惑をかけてしまってごめんなさい。お詫びのメールをいく度か出したんですが……」亀井は腰を九十度折り曲げて謝罪した。
  「そんなことはどっちでもよろしい…。おっと」ガチン、ゴツン、ビシビシ。和尚は警官の警杖とチャンバラ状態のまま言う。「どうじゃ。ちと手を貸してくれ ぬか。いまこそ功徳を積めるビッグチャンス。こやつら仏敵を打擲するのじゃ。心頭滅却すれば火もまた涼し。そなたもニルヴァーナの境地に来なさらぬか」
 「あら、亀井さんではありませんか。うれしゅうございますわ。加勢してくださるのですね」マウスを鎖鎌みたいに振り回しながら、甲高い声で麗子がわめいた。
 「なんで。なんで、わわ私が訳もわからないケンカに、しかも警官とのケンカに。勘弁してくださいよ」乱闘の渦に対して再び九十度のお辞儀をする。
 「おいおい、こないだ、あれだけエライ目に遭わせておいて、そんないいぐさはないぜ」警官に押さえ込まれ劣勢に回っている社会科教師が怒声を上げて睨む。
 「うぎゃー助けてくれよ、亀井さーん。いてててて」とコンビニ店員も羽交い締めにあっていた。
 「どぞ、亀井さん、私にお気遣いなく参戦してください。こちらのマスコットは私に任せて」太森は後じさりして、後ろで気絶している雨季川を起こしにかかった。
 亀井はすっかり困ってしまった。こんなところでケンカに乱入するなんて。
 ふと見回すと盾を持ったヘルメット姿の機動隊が取り囲み始めた。
 やばい。
 悲観モヒカンの、ガルルルッ、という叫びは、野獣の咆哮だ。剃りあげた右の側頭には「We Love Copy」、左には「Happy Hacking」という刺青が、まがまがしく映えている。
 突然、拡声器の声が耳をつんざいた。
 「こちらは京都府警どす。君たちは包囲されてます。もう、どこへも逃げられまへん。無駄な抵抗はやめて、おとなしぅお縄をちょうだいしなはれ」
 かかれっ!
 オーッ。
 機動隊の列が亀井を含めた乱闘の渦に飛びかかった。
 「やめてくれー。俺は平凡な普通のリーマンだ。ただ、あるところで知り合っただけの、なんでもない人間なんだー」ジュラルミンの盾に組み伏された亀井は、もがきながら叫ぶ。
 「うるさい、おとなしくしろ」馬乗りになった機動隊員が亀井の頭を二回、三回と殴りつける。
 「やめろ、俺は関係ない」亀井の目に涙が浮かぶ。爾志部長の言葉がフラッシュバックになって蘇る。《ええか。穏便にな。みなまで言わんでも、わかっとるやろな》ミイラ取りがミイラになったようなもんじゃないか。なんてこった。
 「亀井さーん。大丈夫ですかー」太森の声が遠くから聞こえる。続いて雨季川の「カチョー、負けるなー」という声も。
 やがて和尚たち全員に手錠がかけられていた。そして、亀井の両手にもジュラルミンの輪ッパがはめられた。

 連行されるところを、マスコミのカメラマンたちから一斉にフラッシュがたかれる。亀井は反射的に背広を頭から被って顔を隠した。

SCENE 5

 まもなく亀井は取調室に入れられた。ドラマで見るのと同じような安っぽいスタンドが机にある。パイプ椅子がケツに冷たい。
 若い刑事が書類を手に向かいに座った。
 「あんた名前は?」
 「私は関係ないんです。ただ、近くを通りかかっただけで」
 「えらい長い名前だな。で、苗字はどこまでだ」
 「関係ないんですって」
 「わかったわかった。そこまでが苗字ね。じゃ次、本籍いこか」
 「帰してくださいよ。仕事があるんです。部下も外で待ってるんだ」
 「わー、変な地名。それ、日本なの?」刑事はボールペンをカリカリ走らせている。
 「刑事さん、ちょっと話を聞いてくださいよ。私はね、なにもしてないんですよ。警官に暴力を振るったりもしてない」
 「でも、仲間なんだろ」
 「だから、ただの友だちっていうだけで」
 「怪しいな。あんたも悪質ハッカーか」
 そういうと刑事は亀井を立たせて、身体に触れて検査をする。胸の内ポケットにはスレイヴがある。
 「あー、やっぱり」
 「ただ持ってるだけ」
 「なんで姉小路の買ったんだ」
 「どこの買おう勝手でしょうが。やましいことでも何でもないんだ」
 刑事は薄笑いを浮かべて椅子にドカッと腰かけると、タバコを点けた。「『修行しまっせTシャツ』を着てるヤツを見た刑事は、そいつをウォーム真理教の協力者だと疑うわなあ」
 「ええまあ」亀井は立ったまま首をうなだれる。そうか。この事件はウォーム真理教なみのスケールに発展するのか。
 「あんたには姉小路の協力者かもしれんという疑いがかけられてるんだ。ただし、たまたま通りかかったサラリーマンとして釈放することもできる。それは俺の胸三寸ってところだ」
 亀井は門土を恨んだ。なんてものを俺に買わせてくれたんだ。こんなことなら、無理してでも普通のパソコンを買うんだった。長い物にまかれるのが一番だ。ちっくしょー。ウインドウズ万々歳、ビル・ゲーツ様々だよー。
 ふふふ、と刑事が笑った。
 「俺の顔をよーく見てみろ。顔の向こうに十字軍が見えないか」
 ……あーっ! 亀井は慄然とした。そいつはオーケー和尚との勉強会にいた刑事じゃないか。
 「あんたスパイだったのか!」
 「なんとでも思え」
 「でも、あんたなら、和尚たちがまともな人たちだというのはわかるだろ」
 「わかるよ。でも今の俺は警察というミームの部品なんだ。で、警察としちゃあ、和尚のカリスマ性と埼玉麗子のクラッキングの能力は今のうちに潰せっていう方向になってるんだ」
 ナンセンス、権力の走狗、反動・反革命、裏切り者、帝国主義者、税金ドロボー、人民の敵…。
 亀井は思いつく限りの悪口をつぶやいた。いつか聞いた全共闘世代のミームだ。
 「なんとでもいえ。俺はただの機械なんだ。警察はそんなもんだ。参考までに言っとくけど、警察としちゃチーム・マネドスなんかどっちでもいい。あんたの後輩の門土とかいうヌンチャク野郎も大丈夫。安心していい。今回の警察の狙いは権蔵と和尚と埼玉麗子だけだ」
 「それにしても、和尚たち、なんであんな乱闘になってたんですか」
  「和尚は姉小路権蔵と手を組んで、通信衛星を使って京都府警のホストコンピューターを爆破しようとしたのさ。和尚たちは、コンピューターウイルスに毛の生 えたデジタル爆弾なんぞ、もはや興味はないんだ。次になにかするなら、地球規模でやるって決めていた。地球規模っていえば通信衛星ハックだ。そんな計画 に、無線ハッカーの権蔵社長が乗ってきたのは必然だった。通信衛星を全部思いのまま動かせるってのは、無線ハッカーにとっちゃ夢みたいなもんだからな」
 刑事は亀井にタバコを勧める。
 「それに権蔵ときたら、MS-DOSの不正コピー事件以来、京都府警とマラクロソフト、そしてマスコミに対して怨念があった。権蔵社長とオーケー和尚の二人が手を組むってのは、アメリカ司法省とビル・ゲーツが手を組むようなもんさ」
 「で、和尚と権蔵社長が手始めに、京都府警のホストコンピューターを衛星から狙い撃ちしようとして、スパイのあんたに阻止されたって寸法なのか」
 話が思わぬ方向に進んでいて、亀井は自分は関係ないということが判ってもらえそうだという気がしてきた。椅子に座り、息を整える。
 「で、和尚と権蔵社長って、どういう関係だったの?」
 刑事は薄笑いを浮かべた。
 「和尚は権蔵社長とは刎頚の友というやつだ、自衛隊時代に知り合ってから。権蔵社長は電波系で、和尚は計算機つまりコンピューター系だった。違った部署にいながらも、ハッカー同士の絆が生まれた。権蔵社長は盗聴事件でクビになり、和尚も寺を継ぐといって除隊した」
 「いったいなに者なんだよ、権蔵社長とオーケー和尚っていうのは」
 「そんなこと、叩いてみんとわからんさ。なにしろ二人とも筋金入りだからな」
 「とにかく俺が関係ないってことはもうわかってくれただろ。早く帰りたいんだ」
 刑事は亀井を立たせると、ドアのところで亀井の肩をつかんだ。
 「なにか伝えたいことはないか? 和尚と麗子に」
 亀井は刑事の神経を疑った。こいつは敵なのか、味方なのか。
 「お詫びをしたい。そして、またあの勉強会に参加したいってことさ。アンタみたいなスパイ野郎ぬきでな」
 刑事は困ったような顔をしてから、低い声でいった。
 「わかった。伝えておこう。勉強会、またやろうぜ。俺も参加したい。二人をきっと釈放してみせる。俺を信じてくれ」
 調べ室から出ると、雑然とした刑事部屋には、どこからともなく、麗子の絶叫と、和尚の読経が響いていた。

========== ACT 10 に続く ==========

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